周りのことを気にしすぎていたわたしを変えた、たったひとつの考え方

こんにちは!

 

今週末は大阪に帰ってきていました。

金曜日は初!鳥取にお邪魔してとても楽しい時間を過ごせて。生徒たちと話したり内省をするなかで、エンパワメントが自分のなかでキーワードだと気付いた、というか、軸にしようと決めた週末。

 

 

さて。

昔のわたしは周りのことを気にしすぎていたな、って最近よく思う。

こうしたらどう思われるかな?とか、これを言ったら嫌われるかな?とか、24時間365日考えていてしんどくなっていた。気付いたら周りの人の顔色を伺いすぎて自分の声を失くしていたし、それのせいで自分の思いや願いが叶わないこともたくさんあった。

他にも、誰かをごはんに誘って断られたり、お友だちが他の人と遊んでいるのを見たりすると、それだけでなんだか自分が忘れられたり嫌われたり仲間はずれにされている気がして、不安になっていた。懐疑深くなり、自己肯定感が低くなり、息を吐くように不安感や諦めの言葉を口にしていた時期も正直あった。

 

そんな自分を変えたくてたどり着いた答えは、ほんとうにシンプルだった。

 

周りの人をジャッジするのをやめる。ただそれだけ。

 

自分が周りの人のことを常にジャッジしているから、自分がどう思われているのかが気になってしまう。逆に、良い意味で自分が他の人を気にしなければ、他人も自分に実際はそんなに興味がないことに気づける。

何かに挑戦している人をジャッジするから、自分が何かに挑戦しようと思ったときに最後の一歩が踏み出せなくなる。でも普段から憧れと尊敬の念を彼らに対して抱いていれば、自分が何かに挑戦しようと思ったときにその自分に対して憧れと尊敬の念を抱ける。

自分が誰かとハングアウトするときに他人をジャッジしながら誰をその場に呼ぶべきか考えるから、他の人に同じことをされているんじゃないかって不安になる。でも自分が最初からもっとオープンにフラットに他人との関係を見つめて、誰に対しても愛を持って接し、誰でもウェルカムという姿勢を常に持っていれば、他人がどこで誰と何をしていようが気にならなくなる。

自分がごはんに誘われた時に「こう言えば許してくれるだろう」というジャッジメントに基づいた嫌な考え方をして適当に言い訳をつくりあげるから、相手に断られたときに真意を探りたくなってしまう。でも自分がそんなジャッジメントをせずただ素直に断る理由を伝える習慣をつけていたら、他人に何を言われても素直に信じることができる。

 

これらはすべて、周りの人をジャッジする習慣を完全に取っ払うことがベースになっている。

ほんとうに、ただそれだけ。

 

こんなにシンプルで当たり前のことに気づくまでわたしは十数年かかったけれど、これに気付いた数年前からはほんとうに生きるのが楽になった。

 

自分が見ている世界は自分の持っているレンズを通してしか認識できないんだもん。だったらそのレンズをもう少し綺麗にしてあげましょ。ね。