人の生は、命は、こんなにもあっけなく一瞬で奪い取られてしまうんだ。

 

昨日、大学の友人が亡くなった。

交通事故で、一瞬に。

友だち伝いにそれを聞いた。

事故が起こったのが北京だったこともあるし、卒業してから連絡を取っていなかったこともあいまって、いまだに全く実感がわかない。まだ23歳なのに。だったのに。

 

その子は、キャンパスで初めてできた友だちのうちの1人だった。

いつも笑顔で、スタイリッシュで、ふと呟く一言がいつも最高に面白い子だった。

初めて会ったときは柔らかくて、なんだかすこし弱々しかった笑顔も、4年が経つ頃には元々の素敵な柔らかさは残しつつも、ひきしまった、自信に満ちた顔をしていた。

とにかく地頭がいいのか、ほとんど勉強しなくてもいつもAを取るような、数字にはめっぽう強い子で、一度一緒に経済学を取ったときは毎週のように解説してもらった。

 

そんな思い出たちも、全部もう過去形で書かないとしっくりこなくなってしまった、この現実が、苦しい。彼がいなくなったあとも、世界は色を失うことなく、スピードを緩めることなく、淡々と動き続けたし、今でも動き続けている。

 

 

その子がこの世界を発った瞬間から、いろんな人が彼との思い出の写真をSNSに上げた。彼のFBに書き込んだ。訃報を知らせるFBポストをたくさんの人がシェアをした。

わたしはその人たちと彼との関係を何も知らないけれど、RIPと一言書いた写真をあげればそれで良いのだろうか…。訃報を知らせる投稿に一言「彼は素晴らしい人だった」って書けば良いんだろうか…。この中でどれだけの人が心から悲しんでいるんだろう。この中でどれだけの人が、また彼の誕生日が巡ってきたときに、うっかり「ハッピーバースデー」とFBに書き込んでしまうんだろう…。

 

なんだか。

正解がないことだって重々わかっているはずなのに。

わたし自身は虚しくなってしまって、いたたまれなくなって、気軽にそういう投稿ができないのだけれど。

でも気持ちの整理がしたくなって、ここにしたためることにしました。

 

わたしは元気です。

すこしずつすこしずつ事の重みや悲しさが身体にずしんとのしかかってきているけれど、ゆっくりと折り合いをつけているところ。

その子のご家族が一日でも早くインナーピースを見つけられますように。

愛と祈りを遠くから送ることにします。