セミの声に笑う夏

 

というわけで戻ってきました、こんにちは。

最後に記事を書いたのは、予定していた高校生向け海外研修がことごとく倒れ始め浮いた時間を何に使えば良いのか、エネルギーをどこに向かわせれば良いのかわからず、毎晩同僚と飲みながら教育について語った日々の最中でした(春は別れの季節でもあるしね)。

 

もうもはや今までどのように記事を書いていたのか、自分のブログなのにトンマナすら見失った今日だけど、、、4月から今までにかけて(ほんとうにありがたいことに)ゆったりとした時間を持ててきたからこそ、すこしずつ自分の気持ちや世界に対する願いが浮き彫りになった4ヶ月のふつふつとしたなにかが吹きこぼれるかのように、重いペンをとりました(パソコンだけど)。

 

「コロナ禍」「ウィズコロナ」そして「ニューノーマル」「ポストコロナ」の言葉が飛び交うなか、わたしはというと、4月はあつ森とパズルにいそしみ、

f:id:yukakitajima:20200806162756j:plain

f:id:yukakitajima:20200806162420j:plain

26歳のお誕生日もお祝いしてもらった

5月は自分との対話を意図的に増やすべく毎週2回のオンラインチェックインサークルに加えCourseraでThe Science of Well-Being を受講し(オススメ)、

6月からは追加で2社新しい仕事を始め(これについてはまた詳しく)、友人の個展を見に行き、

f:id:yukakitajima:20200806163705j:plain

 なんだか7月を過ごした覚えもないままいつの間にか世間は8月を迎えていました。

 

ずっと雨が降り続いていた東京。

 

でも、1日には、太陽が8月になるのを待っていたかのようにどーんと出てきて青空が頭上にさーーーっと広がり、セミが一斉に鳴き出して、思わずその夏の風物詩に笑ってしまった。

 

わたしたち人間が、「ずっと自宅から働くなら手狭だから引っ越したい」「庭いじりがしたい」「オンオフの切り替えができなくてしんどい」「ずっと画面を見ていて首肩がこっている」って日々の悩みと向き合っている中、人間以外の生き物たちは、地球の大きな動きのなかで少しでも多く自分の種を残すべく生きている。(「そもそも我々が自然を感じたいと思うのは、人工を知っているからだ」(婉曲解釈)って森博嗣大先生も言ってたし。)

 

https://www.instagram.com/p/B6kgs8XnVnI/

 

6月末から7月末にかけて、自分のキャリアに関する講演機会を5度もいただき(恐縮) 道のりを振り返って思ったのは、わたしは「なんとかなる」とわりとどんな状況でも強く信じていること。

その全ての理由を、(いつもはわかりやすいからそうしてしまいがちだけど)留学経験だけに集約させてしまうのはいささかもったいない、というか絶対に違う。

 

きっと、幼稚園生のとき恐怖心に打ち勝って初めて後転したことや、

小学生のとき自然学校で飯盒炊爨の火を絶やさないことに成功したこと、

中学生のとき美術の時間に先生が言ってることが全然わからなかったけれど(英語で「This is your homework」だけわかったけど肝心の宿題の内容は友達に訊いた)乗り切ったことや、

高校生のとき英語で論文を書ききったこと(今読むと恥ずかしいけどその当時は精一杯だった)。

 

日々の小さかったり大きかったりする壁との向き合い方を考え続け行動し続けたこと(もちろん回れ右をしたこともある)が、今の「なんとかなる」というとんでもなく根拠のない自信につながっているのだと思います。

 

f:id:yukakitajima:20200806162217j:plain

もちろんわたしが笑ってソフトクリームを食べながら散歩ができるのは、今こうして記事を書いている間も最前線でたたかっている方々がいるから。

 

でも世界は誰かが良くするものではなく、みんなで良くしていくもの。ってわかっている。みんなきっと心のどこかで知っている。

 

だったら、わたしも考えたい。わたしなりの方法で、どうやってこの場所から世界を良くしていけるのか。

例年より遅れて始まった夏が連れてきたエネルギーを取り込みながら。