自分の見せ方、周りからのイメージ。
を書いて、いろいろ反響をいただいた。それでもう少し考えた、というより、ふわっとこんなアイデアが降ってきた。
あのね、"Portray yourself as how you want to be perceived."(周りに、どんな人だと思われたいか、とイメージする理想の自分でいなさい)という言葉があるじゃない。
ひっくり返すと、自分が意識的にも無意識的にも "見せている" 自分というのは、そのまま周りからのイメージに反映されているということなんだなーって。
だから、
完璧、や、頑張り屋さん、なんていう、周りからのイメージや期待を、彼女の前では演じなくて良いのがほんとに楽。ぶっとんでて共感できて笑い転げて。まだそんなに言うて会ってないのにね。お互い女の子苦手なのにね。(笑) 一緒にいて心地よくて好き。らさありがとう😊
— Yuka Kitajima (@yuka6421) 2015, 1月 9
このついーとの、「完璧、や、頑張り屋さん、なんていう、周りからのイメージや期待」という部分は、ほんとうはつまり、わたしが周りに「完璧」や「頑張り屋さん」だと思われたいと思っていること。周りに期待されているのではなく、自分が周りに期待しているということ。自分が自分に期待しているということ。
自分が自分に期待するというのはとても良いことなんだけど、一歩間違えた時には凶器になる。だってそれって欲だもんね。「こうなりたい」という欲が「こうならなきゃ」という欲に変わっちゃうってことなんだ。
「こうならなきゃ」って思うのは苦しい。いつしか、「こうしたい」から「こうならきゃ」、の、「こうしたい」が消えていっちゃう。できない自分にがっかりする。
言葉で偽るのは、やめよう。できないならできない、で良いし、つらいならつらい、で良い。全然わからないならわからない、で良いし、悔しいなら悔しい、で良い。
だって、そのときそのときの自分の気持ちをぐっとこらえて抑えてなんでもないように振舞っちゃうから、どんどん感情の原因がわからなくなっちゃうんだと思ったから。
周りからのイメージが先行しているんじゃなくって、自分の見せ方、自分が自分へ望むこと、が、そのイメージの根源にあるってわかっただけで、ちょっと楽になったな。めも。