留学への目的と理由と覚悟と自信と挫折

こんな質問をいただきました。

海外大学の学部留学を目指している高3です。いろいろな先輩方のブログを見ていて、留学には明確な理由や目的が必要なのでしょうか。最後までやり抜く覚悟と自信はあります。ただ、日本と海外との選択で海外に惹かれて海外大学受験を志し、明確な理由を述べられないままでは駄目なのでしょうか。宜しくお願い致します。

 

個人的なお話をしますね。

 

わたしがもともと海外に出たかったほんとうの理由は、日本社会に馴染めなかったこと、高校で英語で受けたディスカッションベースの授業が楽しかったこと、少人数制のあたたかい雰囲気の中勉強したかったこと、アメリカの大学に進学した友だちがきらきら輝いていたこと、でした。別に目的はありませんでした。漠然と、もっと人間的にも学問の面でも成長したい、と考えていたくらいでした。別に、最初から「こんな勉強がしたい/将来こうなりたい。だから留学が『必要だ』」と考えていたわけではありません。今でも別にそこまで強い目的もありません。そもそも何をもって目的と言うのでしょう?何が『必要』で何が『必要じゃない』か、なんて、誰が決めるのでしょう?いつそんなものがはっきりわかるのでしょう?そもそもはっきりわかるものなのでしょうか?

 

ただ、理由というのは自己解決するためだけのものではありません。その進路が素晴らしい投資だということを親や財団に理解してもらうためのツールでもあります。しっかりとした根拠のある理由を明確に述べられない限り、金銭面でもその他の面でもきっとサポートしてもらえないでしょう。そういう意味では、明確な理由を述べられるようになる必要があると思います。

 

留学してしまえば、周りからのサポートは受け続けられるものの、基本的には個人的な闘いになります。周りとつい比べてしまって起こる焦り、自分はここでは何者でもないという価値喪失、語力や勉強でついていけないことによる劣等感、マイノリティーそしてリーガルエイリアンというカテゴリーに突然入れられ発生する生活面での不便、そして日本との距離の遠さによって感じるアイデンティティーの変化。もちろん日々の大量の課題や先の見えない将来に対する不安、食事にたいする不満やなかなか寝られないスケジュールなど、すべて含めて、これは自分自身と向き合っていかないと簡単には乗り越えられない壁です。きっと挫折するでしょう。自信なんて木っ端微塵に砕かれると思います。

 

でも、覚悟があれば。いちばん最初の、自分の可能性にわくわくした気持ち、場所や雰囲気や環境への憧れ、そしてどきどきした気持ち、そういう言葉では説明がつかないようなものをしっかりと自分の中に留めておけたならば。きっとどんなに高くて分厚い、突破するなんて不可能に思える壁も、少しずつ少しずつ乗り越えていけると思います。

 

今、留学している人たちのうち、何人が語る『もっともらしい理由』が実は後付けなのでしょう。そんなに明確な理由を、自分が最も納得するように述べられる人なんて、ほんとうはどれだけいるのでしょう。

 

だから、別にそのままで良いと思いますよ。覚悟と自信があるのなら。惹かれた気持ちを大切にしていけるのなら。でも、周りの人からのサポートを勝ち取るために『もっともらしい理由』をきちんと用意しておくのは大事だと思います。

 

このブログのタイトルは、『ときめきを追いかけて』。ときには、本能は、脳が段階を踏んで考える理由なんかよりも、何倍も何十倍もエネルギーを与えてくれるものだと、わたしは思っています。Follow your heart、で、ぜひ突き進んで、突っ走ってください。